私の掌の歴史(1)

<事の始まり>

私がPalm機を使い始めたのは1997年の2月から。早いものでもう4年経ってしまいました。
その4年の間に手にしたPalm機が合計8台、手元に現在も残っているのはそのうちの6台ですが、それぞれに思い出や思い入れなどがあります。
これから数回に分けて、それぞれのPalm機の思い出や、なんでそれだけPalm機を買うことになってしまったのかなどを思い出しながら書き連ねていってみたいと思います。

ちなみにこの文章そのものも、現在のメインマシンであるm500上で作成しています。


まずはPalm機と出会うきっかけになったところから始めてみましょうか。

私が"電子手帳"なるものに興味を持ち始めたのは1996年くらいからだったと思います。学生の頃からポケコンなどを使っていたので、小型の電子デバイスには興味はあったのですが、就職してからは関数電卓+メモ帳というスタイルでやってきました。
メモ帳と言っても200円位の安いもので、見開きでひと月の予定を書き込む程度の物です。
それを毎年買い換えて使っていたのです。住所録も自分で書き移して。
その当時は仕事の予定以外には予定らしい物もありませんでしたし、住所を控えて置かなくてはいけない人もほとんどいませんでした。

あまり使う必要がないのに何故電子手帳に興味を持ちはじめたのか。
会社での会議の時に人が使っているのを見かけるようになったからなのです。当時はまだザウルス全盛で、見かけるのがザウルス以外ありませんでしたが、それでもWizという小型の物を使い出す人が現れてからは、急に興味が増してきたものです。

会社でも私生活でもMacをメインマシンにする身にとっては、NewtonというPDAなる言葉の元祖となったマシンがありますが、あれは私には大きすぎます。手帳の代替としてVHSのテープ(サイズ)を持ち歩く気にはなりません。
自分としてのサイズの制限はYシャツの胸ポケットに入るくらいの大きさでした。"携帯する"のにそれ以上の大きさは考えられなかったのです。
サイズの制限の他にも条件を考えていました。バッテリの保ちとデータのバックアップです。
ポケコンリチウム電池一つでほぼ一年の間使うことが出来ました。電子手帳に同等の使用期間を求めることは出来ませんでしたが、それでもひと月は電池の交換がいらない位の性能でないと、電池代もバカにならなくなってきます。
また、仕事でも私生活でもPCを使う身にとって、"データを扱う機器は必ずトラブルが起きる"というのは常識以前の事実だと考えています。
だからこそデータはバックアップを取るべき物であり、電子手帳というよりパーソナルな情報を扱う物においては、バックアップできることを条件から外すことは出来ませんでした。

そんなことを考えながら、当時の"電子手帳"売場を眺めて回ったものです。
売場の中では色々な種類の電子手帳が売られていましたが、自分にとって一番有望であるWiz以外は選択の基準の外でした。
しかしWizをいじってみて私は挫折をしてしてしまったのです。
ザウルスのウリである手書き文字認識、特に漢字認識が全然ダメだったのです。これは認識精度もあったのでしょうが、それ以上に私が悪筆だったのです。
まぁ自分以外に私の字を読める人がほとんど居ないような文字を機械に理解してもらおうってのがそもそも無茶な事なのですが、だからといって電子手帳に向かって丁寧に文字を書き込んでいく忍耐力は私にはありません。意外な所に高いハードルがあったのだと痛感させられました。
もう一つWizが選択から外れた理由は、PCとの接続キットがあります。本体の価格が2〜3万円程度の物に対して、1万円の接続キットは高すぎます。またその接続キットではWindowsとのやりとりしか出来ません。Mac使いとしてはこっちのことも考えてくれいと言いたくなります。
後で知ったのですが、Macとの接続キットはサードパーティから出ていました。しかしこちらもそこそこな金額だったと思います。


やはりNewtonを買うしかないのかな、と半ばあきらめた状態で秋葉原のイケショップモバイルプラザへ行きました。当時モバイルプラザは計測器ビルという建物の上に入っており、2〜3人入ったら一杯というエレベータで訪れる、秋葉的と言えば秋葉的な場所でした。
しかしNewtonやeMateなどの実機を触ることの出来る私にとって唯一の場所だったのです。
"PDAという思想は受け入れられるのだけど、金額とサイズが受け入れられん"と悩みながらいつもの様に入っていくと、中央のテーブルの所に見慣れない電子手帳が座っていました。
見るとMacと台座の部分がケーブルで繋がってっている様です。
カセットテープを一回り大きくしたくらいの真四角な形状に割と大きな液晶画面。下の方にはアイコンが印刷されたボタンが並んでいます。
書かれたネームを見ると"Pilot"。
そう、これが私とPalm機との最初の出会いだったのです。